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Takuma Supporters Club 〜拓磨と共に世界へ、そしてル・マンへ〜

 車いすドライバーをル・マン24時間レースで勝たせたい・・・

そんな、現実には不可能、そして途方も無い夢を実現するために、Takuma Supporters Clubを立ち上げました。




想像してみてください。

もし、車いすドライバーが日の丸を背負い、
世界最高峰のル・マン24時間で優勝できたら・・・

きっと、どんなに壮快でしょう!
そして、障がい者の皆さんや子供達にどれだけ大きな夢を与えられることでしょう!


▼世界のヒーロー、栄光からどん底へ

かつて2輪のロードレース世界選手権GP500チャンピオンに一番近い男と呼ばれた青木拓磨はHONDA NSR500Vの1998年型先行マシンテスト中のたった50km/hのスピードにもかかわらず転倒。アタリどころが悪く、せき髄損傷を負い車イスの生活に。

ある日突然、彼は「夢」を断たれました
しかも、人生も人気も絶頂の時に・・・


誰もが、思ったはずです
「拓磨は終わった・・・」
「拓磨かわいそう・・・」

実際、多くのレース関係者が彼のもとを去っていきました。

しかし、拓磨はまったくあきらめていませんでした。
自分の運命を、そして境遇を、嘆くことも、愚痴ることもなく、ただただ頂点を目指していたのです。

そして、ケガから苦節9年。
車いすレーサーとして国際ライセンスを取得。国際クロスカントリーラリーが行われるAsia Cross Country Rallyへレース復帰。その3年後には日本人で初めて国内A級ライセンスを取得しロードレースへ戻ってきました。
そして彼は4輪では地方の草レースからキャリアを積み始めます。
まさしくゼロからのスタートでした。


▼2014年、国際レースで奇跡の復活

そして昨年、周囲の応援もあり、国際レースの舞台に16年ぶりに復活。
アジアGTレースの最高峰「GTアジア」にフル参戦し、開幕戦2連勝を含む優勝3回、年間ランキングでは総合2位の快挙を成し遂げました。

レースに復帰するだけでも大変なのに、
誰が彼の大活躍を予測したでしょう?

「車いすでどれだけ走れるの?」
「GTレースはそんな甘くないんだ、こっちは真剣なんだから道譲れよな!」

こう思っていたアジアンレーサーは少なくなかったはずです。
しかし、彼はアジア中のレーサー達のド肝を抜きました。

開幕戦韓国での連続優勝後、ライバル達は目くじらをたて、青木拓磨を潰しにかかります。

リストリクターの2段階縮小(エンジン出力抑制)、さらに75kgものウエイトハンデを課せられただけでなく、ライバル達はワークスの助っ人ドライバーをこれ見よがしに投入、

なりふり構わず勝ちにきたのです。

青木拓磨は、元々、車いすというハンデがあるにもかかわらず、さらに大きなハンデを背負わされてしまいます。
その結果、第3戦から第6戦まで3度のリタイヤを含む大苦戦を強いられてしまうのです。

しかし、この程度でつぶされる青木拓磨ではありませでした。

レースを重ねる毎に彼のドライビングスタイルは進化。
さらにギリギリのラインを攻め続け、天性の勝負勘でライバルを圧倒。
結果、第7戦以降は優勝1回を含む6戦連続表彰台を獲得。

最終的にクラス総合2位に輝くことができたのです。
この国際舞台での活躍により、彼の活躍に注目するレース関係者、企業も次第に増えてきました。

そして、彼の夢であるル・マン24時間の扉も現実味を帯びてきたのです。
しかし、まだまだ、ル・マン出場の切符を手に入れるまでに、数々のハードルを超えなければなりません。

チームの体制もワークス・チームではありません。資金的にも、厳しい状況にあります。


そこで、有志が集まり青木拓磨ル・マンプロジェクトを発足。
ル・マン出場、そして優勝を目指して、青木拓磨を応援しようということになったのです。



もう一度、目をつむって想像してみてください。

もし、車いすドライバーが日の丸を背負い、
世界最高峰のル・マン24時間で優勝したら・・・

これ以上、エキサイティングなことはないでしょう!
世界中の障がい者、子供達に夢と希望、そして勇気を与えられることになるはずです。

だから、私たちは、青木拓磨なら必ずできる!
そう信じて彼を応援し続けています。

あなたもル・マンプロジェクトの一員として、是非、私たちと一緒に青木拓磨を応援しましょう。



TSC事務局 代表 中野裕二郎